第29怪『夜の海』

第29怪『夜の海』

若い頃は何かと夜の海に行った。

北鎌倉に住んでいた頃の話である。

チャリンコでギコギコと由比ヶ浜まで行き、
浜辺に座って暗い波間を眺めるのだ。

暗闇に目が慣れてくると、
黒から青からグレーまで、
実にさまざまな暗さが見えてくる。

風の心地良さも相まって
暗い世界から明るい未来を
想像するように、
じいっと水平線を眺めていたものだ。

…………………………………………

’86年の九州/玄界灘のイベントでは、
ホテルの部屋には泊まらずに
海岸にある海の家で過ごした。

実は僕はこーゆーサバイバルシーン
(ってほどでもないが)
は少し苦手なのだが、
冨士夫は積極的に地元の漁師やら、
なんやかんやの人たちに交わり、
行き当たりバッタリの
交流を持ったりするのが得意だった。

そのくせ、
これ以上ないほどの気を遣い、
世界一良い人に変身したりするので、
とてつもなく精神が
消耗していくのが見てとれた。
(まぁ、無理をするのである)

「歌手のニイちゃん、(地元民から冨士夫はこう呼ばれていた)アッチの小屋で獲れたての魚をさばいたから、よかったらよばれねぇか?!」

「もちろんです!」

とか何とか言っちゃって、
100メートルほど離れた別の海の家に行くと、
新鮮な刺身が宝石のように光っていた。

そこでまた、
別の地元民たちが宴会をしている。

「東京から来た歌手の人じゃけん」

とか紹介されて、

″外人さんじゃないのかぃ?″

なんてざわつきながらもウケている。

僕らは玄界灘に出来たリゾートホテルの
オープニングイベントに来ていた。
シーナ&ロケッツのゲストとして
冨士夫が帯同しているのであった。

だから、当然として
ホテルの部屋に宿泊できるのだが、
冨士夫は海岸にある海の家を選択していた。

地元民に交じり、
採れたての魚をほおばり、
漁師たちと酒盛りをして、
海の家で(まさに)雑魚寝をした。

吹きっさらしの風に混じって
波が打ち寄せる″ザブーン″という音が、
なんともいえず心に迫るようだった。

昼の波音はロマンチックなのだが、
夜の砂に打ち付ける音を聞いていると、
なんだか暗い闇に
のまれるような想いがして、
少し怖くなった記憶がある。

それでも、
波の音と心の波動が重なる頃、
いつもより深い眠りにつくのだった。

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今年の晩夏は神戸に行った。

年老いた妻の母親を励ますためである。

まったく外出しなくなった義母を連れ出し、
山道をドライブして、
フラワーパークで観覧車に乗せた。

その観覧車がテッペンまで来たとき、

「ありがと。良い景色が見れたわ。すぐにもっと高いところに上がって行くけどな」

という義母の笑えないジョークに、
僕らはみんな、無理矢理に笑った。

10年間介護したウチの母親もそうだが、
ある一定の人生の分岐点から、
人は終焉を描いて
今を生きているような気がする。

それはある意味、刹那的でもあり、
現実的で穏やかな
時間の流れなのかも知れない。

夜になり、
明石の大蔵海岸に釣りに出向いた。

釣り好きの我が娘の提案である。

砂浜から防波堤の先まで歩いて行くと、
明石海峡大橋がライトアップされて
遥か海風の向こうに映し出されている。

暗い海は月に照らされ、
時おり行き来する船の小波で
揺れているのがわかるのだ。

電車の走る音がしたので、
岸の方を振り返って見ると、
おとぎ話のように光る街灯りの中を
神戸から来た電車と、
朝霧駅から上る電車とが
交差しているのが見える。

その風景が入り江に浮かんで映るので、
なんだかちょっとした絶景なのであった。

ふっと、

″此処はどこなんだろう?″

と思った。

橋を渡るクルマのライトと、
海を行き交う船の波間に、
浮かぶような電車の灯りがかさなって、
現世と黄泉の時間がくるくると
回っているような気がしたのだ。

そう想いながら、
大蔵海岸の暗い海を眺める。

果てしなく続くと思っていた時間には、
どうやら限りがありそうだ。

それでも昔と変わらぬ夜の海が映る。

ゆらゆらと揺れる波間の中に、
僕は懐かしい人たちを
1人づつ浮かべてみるのだった。

(2022/08/31)

2022/09/10 sat.満月
国立/地球屋

『藻の月 / 路傍の石』ツーマン

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