第42怪『親父の夏』

第42怪『親父の夏』

夏になると親父を思い出す。

白いランニングを着て、
ステテコを履いて近所を出歩いていた。

いま、そんな格好でフラフラしていたら、
即、セクハラ職質である。
しかし、当時のおっさんたちの夏は、
上半身が裸であった。
暑くて家に中にいられないので、
玄関脇の縁台にでも座り、
うちわでパタパタと突き出た腹をあおぐ。

オバはんたちも、
シミーズ(キャミソールのようなもの)や、
ムームー(ハワイ風ワンピース)いっちょうで、
そこら辺を歩いて回っていた。

そんな昭和の風景があった。
扇風機の首がやっと回り始めた時代の話である。

親父は中学の教師だったから、
部活や登校日以外はダラダラとウチにいた。

気温が上がってくると麦わら帽子をかぶって、
庭に出て草取りをしたり、
裏庭の小さな家庭菜園をいじったりしていた。

当時の石神井(練馬区)はまだ人が少なかった。
キャベツの数の方が多く、
信じられないかも知れないが、
うちの前は牛のいる牧場であった。

石神井でも西の方だったから、
どこもかしこも畑と芝生だらけで、
真夏になると網戸にカブトムシやら
クワガタ、カナブンが張り付いていた。

ある日、何を思ったか、
親父は庭に火をつけた。
突然に草取りが面倒になったのだろう。
草につけた火が植木に燃え移り、
ボォっと、炎が上がったのである。

僕は子供心に “終わったな…” と、思った。

慌てて近所の人が、
(と言っても人口的に数人だが)
バケツやら何やらで火を消し止めにきた。

僕はそれをボォっと見ていた。
あまり驚かなかった。
ちょっと、バカだったのかも知れない。

親父は中学校のテニス部の顧問だったので、
夏休みの部活時間になると、
まだ3〜4歳の僕を学校に連れて行った。
お袋も高校で働いていたので、
家に1人ぼっちにして行けなかったのだ。

僕は2歳から泳ぐことができた。
親父が夏休みの部活のたびに学校に連れていき、
プールに置き去りにするので、
自然に泳げるようになったのだ。

もちろん、水泳教室の中学生たちと一緒の時もある。
かまってもらえるように
なるべくぶりっ子することを心掛けた。
特に女子学生には犬のように接したのを覚えている。

“あの頃が発端だっかのか…”
ときどき、そう思うことがある。

しかし、1人でプールで泳いでいると、
白髪のお婆さんが、
水中から迫ってくる妄想を見たりした。
髪を鬼ババアのように揺らした婆さんが、
笑いながらヒラメのように泳いでくるのだ。

“恐ろしかったぜ!あの睨み女”
って感じだ。

そんな、夏の眩しい日差しの下で、
誰もいないプールでの孤独さを
知っている人は少ないだろう。

子供の日々は、
そんな妄想の連続でもあるのだ。

改めて考えてみると親父は無責任な親だ。
4〜5歳の子供をひとりでプールに置くなんて、
事故でも起きたらどーするんだ!
今ならあり得ないハナシである。

まぁ、面倒だったんだろうな、と思う。
親父も若かったんだから仕方がない。

…………………………

こんなこともあった。
お駄賃をもらって、
「どこかで遊んでこい」と言うので、
武蔵関にあった映画館に行った。
それも同じ歳頃だったと思う。

アニメの五本立てかなんかをやっていて、
ボォっと見ていたら何時間も経っていて、
繰り返して見ているうちに
すっかりお腹が空いてきて、
突然に心細くなった記憶がある。

外に出たら真っ暗であった。
トボトボと30分も歩いて家に帰ったら、
親戚やら祖父母が居て大騒ぎをしていた。

いったい何時ごろになっていたのだろう?
親父はみんなに怒られていた。
ソレを見て、
少し可哀想だなと思ったのを覚えている。

警察にもよく連れて行かれた。
親父は練馬区の補導責任者でもあったので、
定期的に警察周りをするのだが、
そこへも幼子は同行する。

道場で柔道をやっている警察官や、
優しい婦人警官に遊んでもらったりした。

大人になってから、
うっかりと別な理由で警察へ行くことも生じたが、
何故か懐かしく思ってしまうのはそのせいだった。

可笑しかったのは、
高校生の頃、
石神井公園で他校の不良と喧嘩して
石神井警察にしょっ引かれた時、
取調室のドアから入って来た刑事が、

「親父が泣くぞ!」

と言いながらやって来たことだ。

「それにしてもデカくなったなぁ」

と言ったかどうかは覚えてないのだが、
その刑事は親父の古い知り合いで、
僕の遊び相手の1人であったらしい。
いや、何回か遊んだだけだと思う。
僕には記憶はないのだから…。

夏になると、
とにかくそんな親父を思い出す。

親父は真面目だったが、
だらしがなかった。
酒飲みでどうしようもないのだが、
酔っ払うと頑固な性格が解けて、
子供の目線まで寄ってきてくれるので、
“ソレも悪くないな”
って思ったのを覚えている。

社会科の教師だったのだが、
「数学と国語と音楽の教職免許もあるんだ」
と、嘘ぶいていた。

そこら辺のホラ好きは、
“遺伝したかな?” 
と、ときどき思うことがある。

亡くなる数年前のことだろうか、
例の如く酔った親父が
部屋に入って来るなり一節ぶちかました。

「俺は本を書くことにする」

と言うのだ。

ソレも、
“誰も知らないそこらの人の事を書きたい”のだとか。
名のある人や、何かを成し遂げた人じゃなくて、
「無名の一人ひとりの人生がいちばん面白いのだ」
と、赤ら顔で大きく吹いていた。

それで取り急ぎ、
“祖父母の事を書いてみよう”
と調べ始めたら、
(自分の親ではない、何故か妻の方の親だった)

親父の妻、
つまり僕のお袋の爺さんは
実は甲府のペテン師で、
地元の住民を騙くらかして
フィリピンのミンダナオ島まで逃げ、
そこでまたフィリピン人を騙して
東京に逃げ帰って来たという
とんでもない事実が判明した。

その意外な先祖の物語に
正月に集まった親戚たちはざわついた。

「春三さん、(はるぞう、父の名前である)もっと調べて、是非とも完成させておくれよ」

そのように母親の親戚たちから
過剰にヨイショされ、
赤ら顔で神輿に乗ったまま、
一行も書かずに逝ってしまった。

“発想だけはいいんだけどなぁ…”

息子の僕もそう思う。
他人事とは思えぬ所業なのだから。

…………………………

夏は、そんな親父を思い出すことから始まる。

そのうち、
耳鳴りのように蝉が鳴き始め、
僕らの記憶の中で
さまざまな物語を呼び起こすのだろう。

親父が言っていた書きたかった事柄は、
しっかりとこの脳裏に刻まれている。

「無名の一人ひとりの人生がいちばん面白い」

安酒でほどけた赤ら顔を向けながら、
愉しそうに笑う顔が今も忘れられない。

“もしかして…”っと、思うことがある。

書きたかったそれは、
親父自身の人生だったのではないか?…と。

いや、誰しもが想う人生のハナシなのだろう。

始まったばかりの夏は、
まだまだ陽炎のように揺れているのだから。

(2023/07/10)

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