第33怪『青ちゃんの誕生日/2023』
- 2023.01.05
- 未分類
- SPEED, TAMBLINGS, TEARDROPS, THE FOOLS, ウィスキーズ, カノン, シーナ&ロケッツ, ジョージ, セツ・モードセミナー, よもヤバ話, 伊藤耕, 山口冨士夫, 村八分, 藻の月, 青木真一, 高円寺
正月は昔からずぅっと休むことにしている。
駅伝を見て、高校サッカーを見て、
ボォっと空を眺めながら
良い夢想をして過ごすのだ。
(単にサボっているだけなのだが)
それでも4日ともなると、
そろそろウォーミングアップに
何かを始めようかと思う事が多い。
そんな正月明けの1月5日に青ちゃんは誕生した。
生まれは東京の下町・日本堤。
道を渡ると江戸から続く吉原があり、
少し手前には三谷の風景が流れる
チャキチャキの江戸っ子なのだ。
父親は歌舞伎の手拭いを作って
卸していた職人だと聞いている。
会ったときはロマンスグレーの
男気のある風貌をしていた。
その工芸職人の父親の影響なのか、
高校を出た青ちゃんは
新宿にあった『セツ-モードセミナー』に
通うこととなる。
創設者はアーティスト・長沢節。
理論よりも実践に重きをおき、
デッサンを中心に描く自由な校風は、
イラストレーターから芸能まで、
ジャンルを問わずに
様々な逸材を輩出している。
ココで青ちゃんは長沢節の目にとまり、
デッサンのモデルにもなっている。
それは音楽をやり始めてからも続く、
青ちゃんの収入源のひとつであった。
同窓生にジニー紫(TEARDROPS/Ky)や、
イラストレーターとして
活躍前夜の石丸しのぶがいた。
その″しのぶ″と仲が良かったのが、
ダイナマイツ終盤の山口冨士夫である。
冨士夫はしょっちゅう″セツ″に
遊びに来ていたという。
ある意味、
当時のセツに通う学生たちは
時代の最先端であった。
ファッションからアートから音楽まで、
無限に夢が広がっていく時代の中で
希望に満ち溢れていた
学生たちだったに違いない。

※写真1/1969年毎日新聞掲載の写真(センターのアフロが青ちゃん)
こうして知り合ったばかりの頃、
青ちゃんにとっての冨士夫は、
歳上なのに気を使わない
とても気さくな兄貴的存在であった。
セツの仲間たちが連れ立って、
新宿のサンダーバードで行われた
ダイナマイツのラストステージを
観に行ったエピソードを、
『SPEED』のケンゴさんから聞いたことがある。
(ケンゴさんもまたセツの学生であった)
そんなさまざまないきさつがあるのだろう。
青ちゃんは冨士夫の誘いに乗り、
まるでデッサンを描くように
『村八分』物語のプロローグに
加わっていくのであった。

※『村八分』
しかしながら、
江戸っ子の青ちゃんには、
京都の雅(みやび)な気質は
合わなかったに違いない。
いや、妖艶なるチャー坊の存在感も、
次第に変わっていく冨士夫の現実にも
耐えきれなくなったのだろう。
覚えたてのギターと共に
東京に舞い戻るのであった。
それを迎えたケンゴさんは、
青ちゃんと共に『SPEED』を作って
東京ロッカーズに華の一端を放っている。
その後青ちゃんは、
本人の真意は定かではないが、
″村八分″の名声が盛り上がると共に
自身の知名度も上がり、
『THE FOOLS』を作るきっかけとなる。
その後、再会した冨士夫と
『TUMBLINGS』を立ち上げ、

※『TUMBLINGS』4曲入りEP/RIDE ON
限定的な活動ではあったが、
″藻の月″のジョージと共に
『WHISKYS』で音と戯れた。

※『WHISKYS』時代のジョージ/稲生座にて
あくまで個人的な主観だが、
僕はこのあたりから
青ちゃんが何かを吹っ切ったのだと思っている。
剣道部だった青ちゃんはとても姿勢が良い。
ゆえにステージの立ち姿も
まるで面を打ってくるかの
如くのスタイルであった。
ある意味、その頑固さは硬さにもなり、
パフォーマンスにも現れていた。
それが『WHISKYS』でほどけたのだ。
あれほど歌いたくなかった
ヴォーカルにもトライしていくうちに、
だんだんと様になっていったし、
ステージ上の立ち振る舞いにも
余裕ができていったのである。
それら全てが青ちゃんを変え、
『TEARDROPS』につながったのだと思う。

※初期の『TEARDROPS』京都にて
二十歳になりかけの少年が
ギターも弾けずにベースを持ち、
『村八分』のステージに立ってから
実に15年以上の月日が経っていた。
30も半ばを超えた男にとっては
少し遅い咲きかたではあったが、
チャキチャキの江戸っ子の“粋”が、
自身が描く格好に
追い付いた瞬間だったのだ。
もし、ここで
僕と青ちゃんのワンシーンを流すなら、
どんな映像を選ぶのだろう。
僕にとっては、あの日本堤にある
青ちゃん家の屋上から見た
隅田川の花火大会での風景が浮かぶ。
すでに僕も青ちゃんも50代で、
ある夏に、お互いの家族を寄せて
隅田川から上がる華の輪を眺めていた。
パッと咲いては儚く消えていく
火の粉に歓声を上げる家族たちの後ろで、
青ちゃんは静かに缶ビールを飲んでいた。
時々、気になって振り返ると、
“大丈夫、楽しんでいるよ”
というように
青ちゃんが片手を上げて笑顔になる。
僕も微笑みがえして再び夜空に目をやる。
空には無数に上がる花火が、
音とともに一瞬の輝きを魅せていた。
誰しもがその華やかな風景の終わりを思い、
ソワソワと終い心の支度をし始める頃、
それを見透かしたように
一斉に花火の連発が夜空に舞い散った。
その瞬間である、
いきなり後ろから肩を叩かれた。
振り向くと青ちゃんが
赤ら顔で耳元に寄ってきて、
「冨士夫は元気でやっているのか」
と聞くのである。
「えっ!?」
っと言ったまま眺めた青ちゃんの横顔には、
無数の花火の色が映っていた。
人生のワンシーンを考えるとき、
僕はこの時の青ちゃんを想う。
華やかな儚い瞬間に、
人は大切な人を思い出すものなのだ。
(2023/1/5)
【写真1/毎日新聞掲載/1969年】
センターのアフロ・ヘアーが青ちゃん、その横にケンゴさんとジョンがいる。バックは渋谷/西武。当時、渋谷西武には『やまもと寛斎』らのサイケデリックな服をそろえたアヴァン・ギャルド・コーナー『カプセル』があった。
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