第55怪 『南国骨折』
- 2025.08.01
- 『藻の月』BLOG
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伯母が他界した。
通称、アッコさんである。
訃報を受け、
急いで羽田から宮崎へと飛んだ。
ある程度の覚悟はしていたが、
現実はいつも突然すぎると思う。

宮崎駅の改札口で懐かしい顔に会う。
ウチの奥さんだった。
実は彼女はこの3年間、
東京と宮崎を往復していたのだ。
そして、ついに今年の春からは、
通うこと自体が、
“毎月のやることリスト”にもなっていた。
東京から九州の宮崎。
空を飛べば、遠いようで移動時間はさほどでもない。
でも、通い続けるには
少しばかりストレスを要する距離なのである。
アッコさんは97歳であった。
3年前にご主人を亡くし、
一人ぼっちになったので
施設に預かってもらおうとしたのだが、
本人はそれを良しとしない。
ウチの母親のときもそうだったのだが、
「私は、ああいうところは合わないの」
というわけである。
結局、アッコさんは
施設が借りている集合住宅の一室に入居した。
共同生活ではなく、一人暮らしを選んだのだ。
3食は宅配されて来る。
洗濯物も施設の人が取りに来てくれる。
つまり、何もしなくていいのである。

そこに入居したのが3年前の初夏、
アッコさんは94歳だった。
挨拶がてら覗きに行った時は
シャンとした佇まいで滑舌もよく、
元気で品の良いおばあさんだった。
アッコさんのご主人は、
某・関西系の有名大学の教授を歴任され、
全共闘の学生を率いた強者である。
当然のごとく活動家の師弟たちが集い、
京都にあった頃の自宅は騒がしかったという。
そんな輝かしき人生が
どのくらい続いたのだろうか。
アッコさんよりも3つ歳上のご主人が
60歳で退職するのをきっかけに
2人は宮崎に移り住んだのだ。
それから30年余り、
その年月が長いのかどうかは計り知れない。
遺品整理をしていると、
庭木を愛でながら笑う二人の写真が
アルバムのそこかしこから覗いていた。
ご主人が亡くなり
一人ぼっちなってからのアッコさんは、
いつしかその喪失感から
「死にたい」が口癖になっていた。
いや、“生きていても仕方がない…”の方が、
正確な言葉使いなのかもしれない。
その気持ちに寄り添うように
ご主人のかつての教え子たちが
順番にアッコさんの元を訪れた。
うちの奥さんもその列に並び、
定期的に顔を見せることにしたのだ。
そして、昨秋は、
常々、アッコさんが帰りたがっていた京都にも連れて行き、
(90歳以上の高齢の人を飛行機に乗せるのは大変なのだ)
京都で暮らすご主人の教え子たちにも挨拶をした。
それからは「死にたい」を言わなくなったらしい。
何がどう変わったのかは
本人ではないなので知る由もないのだが、
喪失感で埋まっていた心が
別の次元に移れたのかもしれない。
でもやはり、再び、
予期せぬ現実がやってくる。
今年に入った4月のある日、
アッコさんは自宅前の道で転んだ。
大腿骨を折り、入院をしたのである。
転んだ時のコンビニ袋には
漬け物やヨーグルトが入っていたという。
「もう、ほとんど食欲がないの」
と言うアッコさんは、それでも頑張って
軽い夕飯を取ろうとしたのだろう。
そのわずかな思いも叶わなかったのだ。
それから3ヶ月余り、
点滴やゼリーで持ち堪えながら、
頑張り抜いたアッコさんだったが、
ついに七夕の夕暮れに天へと昇った。
…………………………………………

そこで冒頭の話になるのだ。
僕が着いた翌日が葬儀だった。
まずは僕もアッコさんの部屋で一休みした。
キリのいい時間で寝ることにしたのである。
といっても、すでに0時を過ぎていたかも知れない。
1LDKの奥の部屋にベッドが置かれていた。
「私は床に布団をひいて寝るからベッドで寝て」
と奥さんに言われて、
“伯母さんがずっと寝ていたベッドじゃ、なんか怖いし…”
と思ったのだが、
その言葉を飲み込んで寝ることにした。
奥さんの伯母さんを怖がるのも
なんだか悪い気がしたのだ。
すると意外なことに寝心地が良かったのである。
マットレスがふかふかしていて気持ちがいい。
“なかなか寝つけないかもな…”
なんて思いもなんのその、すぐに寝落ちしたのです。
どのくらいの時間が経ったのだろう。
ほんとうに久しぶりの金縛りで目を覚ました。
“いつぶりだろう?”と思いながら、
「えいっ!」っていう思いで
縛りを振り解いて半身を起こすと、
アッコさんが僕の足元に居た。
「わっ!!!」
っと、驚きの叫び声をあげて
完全に身を起こした瞬間、
アッコさんはスッと消えていた。
驚いたけれど怖くはなかった。
ベッドの左下に目をやると、
普段は小さな物音でも起きてしまう
神経質な奥さんが、
全く気がつかずに寝ている。
こっちの方が何故か不気味であった。
“このことは言わないでおこう”
気付かれていないのであれば、
そのほうがいいような気がしたのである。
翌日は大雨であった。
葬儀場に行き、
棺に安置されているアッコさんに挨拶をする。
“ご無沙汰してます、昨夜はどうも”
なんて言葉を心で呟きながら、お線香をあげた。
無宗教なのでお坊さんも来ない。
火葬場に行きアッコさんと永遠のお別れをする。
降りしきる大粒の雨と風が
まるで全ての景色を洗い流していくようだった。
こうして葬儀は無事になんとか終了した。
…………………………………………

しかし、大変なのはこれからである。
膨大な遺品整理が終わらなければ東京には戻れない。
その日からも僕は
アッコさんのベッドで寝起きしていたのだが、
相変わらず快適なのであった。
アッコさんが現れたのもあの一回だけである。
あれは一体なんだったのだろう?
足を引っ張るつもりだったのだろうか?
いや、そんな恐怖はみじんも感じなかった。
ただ、アッコさんは、
何故か僕の足元でかがんでいた気がする。
それが謎ではあったが…。
葬儀の翌日、宮崎の繁華街で夕食をとった。
アッコさんの部屋では調理も洗濯もできないので、
食事の後にコインランドリーにも寄る事にしたのだ。
少しだけ酔っていたと思う。
コインランドリーから出て、
調子良く道に出ようとしたところで
突然けつまづき、転んだ。
鋪道と道路の段差を埋めていた
スロープが割れていたのである。
そこに左足がはまったのだ。
僕はコンビニで買った袋を
提げながら身を投げ出したので、
マイアミにいるワニのような
格好になっていたと思う。
左足首がグニャ!っと曲がったので、
“ヤバい、捻挫したかも!?”
と個人的に確信したのである。
そこは伯母さんが転んだ場所と
さほど離れていない同じ道路だったのだ。
しかもコンビニ袋を提げての失態だったのである。
…………………………………………
翌日からも淡々と部屋のものを整理した。
いらないものは袋にまとめて
建物の一階にある集積所に運ぶ。
それを4日ほど繰り返し行っていた昼時だった。
なんか左足が象のように膨れてきたのだ。
なんとなく前よりも痛いような気もする。
“もしかすると折れてるのかも”
という懸念が脳裏をよぎる。
すると不思議なことに、
整理している遺品の中から
アッコさんが通っていた整形外科の
診察券がポロリと出てきた。
「それ、おばちゃんが通っていた整形外科の診察券だから、そこを調べて念のために行ってきなよ」
って奥さんに押され、渋々と行ってみたら、
「折れてますね!痛いでしょお!」
と言う事だったのである。

「東京の人はよく歩くんでしょう?」
なんて、宮崎の優しげな看護師さんに
ギプスをしながら言われて、
「はい、今日は何歩あるいたか、なんて、歩いた自慢をしてますから」
と言うと、
「え〜!? 東京の人は歩くのが自慢なんですね〜」
なんて包帯を撒きながら言われて、
「でも、それはしばらくの間、やめてくださいね」
と諸注意を付け加えられた。
「はい、もちろんです!」
そう言いながら病院を後にした。
優しくされて、帰り道は良い気分だった。
あの優しげな看護師さんは
アッコさんとも接したのだろうか?
そう思いながら集合住宅の前にある
ローソンでサンダルを買って帰った。
(ギプスをつけたために靴が履けなくなったのだから)
さて、それからもアッコさんの遺品整理を続け、
結局は10日間以上も宮崎に滞在しただろうか。
まっさらになった部屋に別れを告げ、
宮崎を後にしたのである。

…………………………………………

夏の始まりは行ったり来たりの季節。
僕にとっては子供たちが生まれた月であり、
大切な人たちが逝ってしまった月でもある。
結局、お墓を作っていないアッコさんは、
3年前に逝ったおじさんと共にウチに連れてきた。
隣には、やはり7月が命日の母親の仏壇がある。
「私と主人は琵琶湖に散骨してね」
そう言っていたアッコさんは
やはり寂しかったのだろう。
人は人との交流がなくなっていくと
生き甲斐もなくなっていくものである。
妻とアッコさんが昨年の秋、
思い切って京都旅行をして
何日も一緒に過ごしたとき、
「これであなたと会うのも最後かも知れないわね」
と言われたのだとか。
そのあとは病院の見舞いで
会うことはできたが、
結局、元気な姿で会うのは
その時が最後になってしまった。
………………………………………

ところで、
僕の左足首の骨折はまだ治らない。
あれからずっと考えていて、
一つの結論に思い当たった。
あの夜のアッコさんは
僕の足に触れていたのだと思う。
「私と同じように転ぶから気をつけなさいよ」
と言いたかったに違いない。
それがわからずに見事に転んでしまい、
“ほんとごめんなさい”って思うのだ。
まあ、いつになるかわからないけど、
琵琶湖でのお別れの日まで、
しばらくは我が家でお休みください。
そして、何か伝えたいことがあったら、
遠慮なく出てきて欲しいと思うのである。
(2025/08/01 夏真っ盛り)
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