第59怪『日曜の昼下がり/“一素茶庵”』
- 2025.12.10
- 『藻の月』BLOG
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日曜は寝坊することに決めている。
南側にある窓から差し込む日差しが、
ぐるりと部屋の中を回り込むまで
目を開けないでいるのだ。
すると突然に身体がズンと重くなる。
2歳になる娘が布団の上に乗ってくるからだ。
逆光の中の小さな身体に布団を剥がされ、
笑い声とともに冬の冷気を感じる。
久々の休日だから、たぶんみんなが
気を遣ってくれているんだろうと思った。
″いい加減に起こさないとな″
というタイミングでの目覚まし攻撃だったのである。
「ご飯だよ」
という声を遠くに聞きながら
畳んだ布団を押し入れに入れていると、
縁側の窓がガラッと開いた。
「やっと起きたか、まったく寝ぼけまなこだな」
という声に振り返ると、
冨士夫たちが呆れ果てた顔で笑っている。
朝っぱらから散歩にでも行っていたのだろう。
夕べも夜更けまで呑み歌っていたのに、
その目覚めの良さは彼らの才能だと思った。
僕はまだ脳が温まっていないので、
半分フリーズ状態のまま窓辺まで行き、
ひんやりとした冬景色を眺めた。
庭先の垣根の向こう側で、
観光客がワイワイと
吹き溜まっている風景が映る。
我が家は北鎌倉駅から鎌倉までを歩く
散策ルートの途中に位置していた。
鎌倉街道をひょいと左に曲がったところあるのだ。
だから、そこにも何か見るべきものが
あるのかと思った人たちが
ガイドブック片手に時々迷い込んで来る。
そこに、
「此処にはなんにもねーよ!」
なんて、
からかうように垣根の隙間から顔を出した冨士夫が、
満面の笑顔を見せるのだからたまらない。
ギョッとした乙女たちが振り返り、
雀が飛び立つかのように散って行くのだ。
それを見てみんなで大笑いする風景。
まったく意地が悪いったらありゃしない。
裏山から降る紅葉の断片が
その景色を心の中に散らしていった。
まるで起き抜けに見た夢のように‥‥。

…‥‥‥…‥‥‥…‥‥‥
注文した料理が出てくるまで
部屋の中を見渡しながら
そんなことを思い描いていた。
此処は北鎌倉にある『一素茶庵』という店である。


当時僕の住んでいた家が、
お店になっていたのだ。
であるから、
今のシーンは約45年前の
一コマということになる。
僕は今、かつての住まいの
“娘に起こされた布団”の位置に座っている。

茶の間だった十畳余りの空間には、
2人用と4人用座りの六卓がレイアウトしてあり、
そのすべてに客が腰掛けている。
つまり、満席なのである。
店主は台湾人の夫婦のようにみえた。
いや、旦那さんは日本人なのかも知れない。
(間違っていたらごめんなさい)
ご主人が厨房で料理をし、
奥さんが甲斐甲斐しく接客をしながら
その他すべてをこなしている。
『ヴィーガン』メニューのせいか、
客のほとんどは女性たちだ。
それと、外国からのお客さんもいる。



冨士夫がいつもギターを抱えて
ビールを飲んでいた西の片隅には
スタンドライトが置かれ、
物憂げな外国の女性が外を眺めている。

『ティナキャッツ』が陣取った
ソファがあった東側には、
常連っぽい女性グループが
笑顔をこぼしながら、
午後のひと時を楽しんでいる風であった。

食事終わりにデザートを運んできた
店の奥さんに話しかけてみた。

「実は以前、この家に住んでいたことがあるんです」
「本当ですか!」
と、奥さんの表情が華やぐ。
予想通りの驚き方だったが、
結構、笑顔が好意的だったので、
「それも45年くらい前に」
と続けた。
「この家は変わりましたか?」と聞かれ、
「このままでしたよ」と答える。
本当に住んでいたあの頃のイメージのまま
今のお店に変身していると思った。
まあ、台所の隣にある
かつての仕事部屋が厨房になっていたり、
冨士夫たちがくつろいでいた部屋に
料理道具が置かれたりはしているけど、
基本的には変わらない。
「この家には、とても“良い運気”を感じるんです」
と、奥さんが会話を続ける。
「ポジティブな気分になって、創作料理のアイデアが次から次へと浮かんでくるんです」
と、目を細めて笑うのだ。
玄関の脇に松の木が植っているのだが、
竜の形をした枝が落ちてきた時には
鳥肌がたったのだとか。


もともと玄関脇に松の木を植える習慣は、
その家の繁栄を表しているという。
そういう意味では住人が移り変わっても、
この家にはとても良い“気”が
流れているのかも知れないと思った。
その昔、僕が此処に住んでいた頃は
仕事場が都心だったので、
ビルの谷間を駆け回った1日の終わりに
北鎌倉の無人の駅に降り立つと、
(今はどうか知らないが、当時は夜遅くになると北鎌倉駅は無人なのであった)
気持ちが“ストン”っと、切り替わる気がした。
それは北鎌倉を流れる独特な空気感なのかも知れない。

住んでいた期間はたった2年間だったのだが、
その期間の想いはとても濃密な景色として
今も心の奥に刻まれている。
ひとしきり店のオーナー夫婦と会話をして、
またの来店を約束しながらおもてに出た。
「庭も見ていってください」
と言われて庭を眺めていると、
長女からライン電話があった。

さっき、この家(店)の画像を
長女のラインに送ったから、
その返信だなっと思いながら通話をすると、
「私、覚えてるよ!」
と、開口一番、
ハイ・テンションの声が鼓膜を震わせた。
「道に出るとアイスクリーム屋さんがあった!家の庭一面に色とりどりの風船が置かれていたことがあったじゃない。(ある日、妹が訪ねて来たのだが、留守をしていたら、庭一面に何十という風船を膨らませて置いていったことがある)私、そこでクルクルと回ってさぁ!‥」
なんて、
走馬灯のように脳内を流れる幼い頃の景色を伝えてくるのだ。

それからも長女からの話はとめどもなく続いた。
それは、10分以上経っても終わりそうもない。
僕は彼女の言葉に相槌を打ちながら
目線を庭から空へと流していく。
昼下がりの光が、
45年前と同じ角度で落ちてきている気がした。
長女の声はまだ何かを語っていたが、
その響きだけが遠ざかり、
光の眩しさに目を細める。

“そういえばあの頃も、こんな逆光の中でーー”
と、2歳の娘が布団に乗ってきた時の
あの小さな笑い声が、
心から染み出でるように浮かんだとき、
「ねぇ、父さん聞いてる!?」
耳元で娘の大きな声がふいをついた。
「あっ!いま起きるよ」
僕は眩しさにまばたきしながら、
思わず、そう返しそうになるのだった。
(2025/12/10)

一素茶庵(いっそちゃあん) instagram
https://www.instagram.com/vt.isso/?hl=ja

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