第61怪『稲生座@高円寺』
- 2026.03.28
- 『藻の月』BLOG
- SPEED, TAMBLINGS, TEARDROPS, インバウンド, ウィスキーズ, カノン, ザ・プライベーツ, シーナ&ロケッツ, ジニー紫, ジョージ, ジョニー・サンダース, ジョン・フォガティ, チコひげ, つげ義春, ねたのよい, ブルースビンボーズ, マンホール, よもヤバ話, ローリンストーンズ, ロックバンド, 久保田麻琴, 伊藤耕, 山口冨士夫, 村八分, 無能の人, 稲生座, 藻の月, 青木真一, 高円寺, 高円寺バンド, 鮎川誠
初めて稲生座に行ったのは87年だった。
当時の僕は32歳になるフリーのデザイナーで、
文章も書いたりする仕事の在り方だった。
その少し前までは会社員で
激務の日々を送っていたのだが、
家族の平和のために会社を退職していた。
ちょうど、
つげ義春の『無能の人』が話題になっている頃で、

「アレって(無能の人)、まるで、あなたみたいね」
って、父親である僕が2人の子供たちと
のんびりと過ごす様を
MAKI(ex妻)は喜んでいた気がする。
(※つげ義春さんのご冥福をお祈りいたします。)

今になって思えばとてつもなく良い時代で、
誰もが何をしていてもたいてい喰えていた。
金は持っている奴が出した。
持ってない奴はアイデアを出したりした。
フリーになるまでの僕は、
会社に通いながらも他社の仕事をして、
なおかつロックバンドに手を出したあげく、
昼も夜も家族も世間もごちゃごちゃになり、
わけがわからないまま会社に休暇願いを出して
イギリスに飛んでしまったりした。

戻ってきたのはひと月後である。
ちなみに僕の精神の中には
ボヘミアンとかバックパッカーにみられる
アカデミックな発想はミジンもない。
単にMAKIの姉がリーズに住んでいたので、
遊びに行こうかという話になっただけなのだ。
休暇願いは出したのだが、
まさか30日近くも休むつもりはなかったので、
帰国して出社した応接室で当時の上司と対峙し、
クールな状況になったのを覚えている。
「キミはいったい何を考えているんだ?」
と、上司が僕に問いかけた。
それは僕自身にもわからない、
ぽっかりと空いた大きな謎だった。
この職場における6歳上のディレクターと同い歳で、
私生活の中で何かとチャチャを入れてくる先輩が、
山口冨士夫だった。
いわゆる男の小姑(こじゅうと)である。
彼は僕の通うこの広告代理店を『悪の巣窟』と呼んでいた。
「あそこはヤバイぜ!」と言う。
それは、なんとなくわかる気がした。
“アンタの方がヤバくねーか!?”
という、そもそもの疑問もあったが、
当時の僕は、誰かに引き金を
引いてもらいたかったのかも知れない。
それで、“ズド〜ン!”と退職したのである。

その結果、経済的な安定は失ったが、
自由な時間を手に入れることができた。
何よりも小姑のように何かと
チャチャを入れてくる冨士夫と
すぐにでもに会うことができるようになった。
これが何よりものストレス解消だったのだ。
(顔を突き合わせば本人は気が済むのです)
そうして、
冨士夫が率いる『タンブリングス』の
ディープなシーンに浸りながら、
『シーナ&ロケッツ』にも関わり、
“さて、次のステップでどう飛躍するか!”
と思案している時点で、
勝手にひとりで飛んだ冨士夫が
彼方の向こうに消え入ってしまったのだ。
理由はご想像の通りである。

“やっぱ、こっちの道のほうがヤバかったのかもな”
と思ったりしたが、
今さら引き返すわけにはいかない。
そこに、冨士夫の友人でもある
ジニー紫(当時の通称はコッペ)が訪ねて来て言った。
「某ゲーム・メーカーが出版社を作って雑誌を立ち上げるんだけれど参加しねぇか?」…って。
「もちろんだよ、参加します!」
僕は縦揺れに何度も首を振った。
(ちなみにジニー紫は、当時はコッペと呼ばれていて、『東京ロッカーズ』のS-KENバンドのベーシストであり、後に冨士夫が作るバンド『TEARDROPS』や、『電気グルーブ』のキーボーディストでもある)

PHOTO/地引雄一
さっそく、その某ゲーム・メーカーの出版社設立に加わった。
制作チームはやはり僕より6歳上の
我が国のゴールデンエイジだった。
その月刊誌の編集長であるSは、大の“麻”信奉者でもあったのだ。
彼はCCRのジョン・フォガティのような
おカッパ頭にバンダナを巻いているような人で、
「キミにこの国の真実を教えてあげよー」
とかなんとか宣(のたま)いながら、
日本と麻の浅からぬ関係について、
2時間以上も熱弁をふるった。
「本来、日本は麻の文化なんだ。日本の農村では1日の労働の終わりに、畑の周りに生えている雑草(麻)を刈り取り、燃やした煙を嗅いで癒されていたのだが、それらが神社の儀式につながっていく。ほらっ!神社では″煙をくぐって行きなさい″って言うだろ?!鳥居に掛かってるしめ縄も、相撲の土俵に使われるしめ縄も、すべてが麻なんだよ。そうゆー文化なんだ。それがさ、アメリカが入って来たとたんに麻薬扱いされちまった。陰謀なんだよ、占領なんだ。俺たちで本来の日本を取り戻そうぜ!oh〜!!」
(真実と妄想の垣根は果てしない)
C.C.R./ダウン・オン・ザ・コーナ Down on the Corner(1969年)
なんて言い放ちながら、
少年向けのゲーム誌みたいな
月刊誌を立ち上げたのだが、
やはりというか、残念というか、
見事に滑ってしまったのである。
そこで急遽、雑誌を情報誌に変身させ、
編集部から企画を求められたので、
『English Japan』という
日本に住む欧米人たちの特集を提案した。

ちょうどその頃、僕の周りでは、
小さなインバウンドが起きていた。
若い頃に僕が付き合っていた元カノが
アメリカ人と結婚していたし、
MAKIの姉もイギリス人と結婚し、
タカという友達はスペイン人と一緒になって
“スペインでスイカを売りたいんだ”
と、ファイトを燃やしていた。

この状況を繋げて、ぷうっと、膨らましていけば
企画として何とかなるだろうと目論んだのである。
現在のような戦略的インバウンドではないから、
当時の日本に住む欧米人たちには
それぞれに“此処(日本)に居る”理由があった。
そんな外国人たちが集まる店も
取材しようということになり、
色々と探っていたら、
高円寺にある『稲生座』という店が
クローズアップされてくる。
日本に初めてくる
何も知らないバックパッカーたちは、
まず、東京に来ると稲生座を訪ねるというのである。

そこで、冒頭の一文に戻る。
初めて稲生座に行ったのは87年だった。
情報誌の取材のために訪れたのである。
インタビューに応えてくれたのは、
在りし日のオーナー、柴田さん(ヒロ)。
その横で現在のオーナー、
エミちゃんが微笑んでいる写真がある。

知人の外国人たちも遊びに来てくれ、
MAKIと楽しげに談笑している風景が残っている。

おやっ!?
その中に若き日のジョージがいる。

彼は当時、『ウィスキーズ』で
青ちゃんと共にマイペースな活動を
している最中だったのだ。
あれから40年近くの時(とき)が過ぎた。
当時とは違い、
現代(いま)はあまり良い時代とはいえない。
誰もが生活に不安を抱え、
有り金の底も見え隠れしている。
アイデアだけは出そうとするのだけれど、
それを支えてきたメディアも
得体の知れない悪の巣窟に屈しているようだ。
それでも仲間たちは歌い、
ギター弾きは弦を爪弾く。
社会や世間の喧騒をよそに、
時空を超えた世界を作るように…。
さて、そこで告知です。
来る4月5日(日)高円寺@稲生座、
ジョージとレンのデュオがあります。
藻の月ではないけれど、
約10カ月振りのステージになります。
どなた様も浮世の憂さ晴らしにお越しください。
月夜の下でお待ちしております。
(2026/03/28)
4月5日(日) 高円寺@稲生座
Shim Unit/ジョージ&レン
19:30〜21:30 LIVE TIME
Live Charge ¥1650+Drink
-
前の記事
第60怪『青ちゃんの誕生日/ストリートキングダムに寄せて』 2026.01.05
-
次の記事
記事がありません