第38怪『鮎川誠さんを偲ぶ』
- 2023.02.07
- 未分類
- Magical Lizzy Band, RANGSTEEN, The Beatles, THE FOOLS, ザ・プライベーツ, シーナ&ロケッツ, ジョージ, チコひげ, ブルースビンボーズ, ローリンストーンズ, 山口冨士夫, 村八分, 藻の月, 青木真一, 高円寺バンド, 鮎川誠
クルマで渋谷に行くときに
井の頭通りを選択すると、
必然的に代田橋の駅前を通る。
もう何百回も通過した風景だが、
実際に駅に降り立つのは初めてだった。
駅からの階段を上がると
Goodlovinのコイワイくんが
二日酔い顔でたたずんでいた。
「大丈夫か?今日は朝まで呑んでたんだろ?!」
捨てられた犬のような顔をした彼と共に、
″此処が最後尾です″という参列者の列に並んだ。
関係者としてではなく、
″ゆっくりと並ぶことで、鮎川さんをながーく偲ぶことにしよう″
ということにしたのだった。
思えば、
鮎川さんとシーナさんを初めて見たのは
『アルファ・レコード』のエントランスだった。
’81年頃だったと思う。
当時通っていた会社が
ちょうど『アルファ』の裏にあり、
通勤時に偶然目撃したのだ。
その頃はウチに帰ると音楽を辞めた冨士夫が、
茶の間でギターを弾いているような日常だったので、
「今日、会社に行く途中で『シーナ&ロケッツ』を見たよ、顔見知り?」
みたいな事を訊いてみると、
「もちろんだよ。会ったことはないけどな」
みたいな返事。
穏やかな口調だけど
割と素っ気ない反応だった気がする。
振り返るように思い浮かべると、
そこから幾らも経っていない気もするけど、
実際には数年が流れていたある日、
鮎川さんがクロコダイルに現れた。
’84年頃だったと思う。
その頃の冨士夫は、
『タンブリングス』というバンドを組み、
天性の素行の悪さから
東京中のライブハウスに締め出されていた。
だから、
唯一月イチでクロコダイルにだけ
出演している頃だったのだ。
(クロコの西さんだけが僕らの味方だった)
そのクロコの出口近くの壁にもたれて、
静かにたたずむ鮎川さんの横顔があった。
声をかけようと思ったのだが、
その前に冨士夫に報告しようと思い、
楽屋まで聞きに行っているうちに
パッと光って消えちまったのである。
まぁ、その時の冨士夫のリアクションも
あまり良いものではなかったので、
半ばホッとしたのを覚えている。
日替わりでジキルとハイドが現れるような、
そんな日々の冨士夫だったのだ。
ところがである。
翌月のクロコダイルLIVEにも
鮎川さんが現れた。
LIVEの途中から出口付近に立っているのだ。
急ぎ楽屋に行くと、
この日の冨士夫は上機嫌で、
「ぜひ、楽屋に招いてくれ!」
ということだった。
鮎川さんに伝えると
突然に子供のような笑顔になって、
村八分と外道とToo muchが渦巻く
楽屋に入って行った。
「みんな、紹介するよ!シーナ&ロケッツのまことちゃん」
と、電話でしか話したことがないくせに
鮎川さんのことをメンバーに紹介する冨士夫。
「ああ、サンハウスの人だね」
「テレビに出てるよね!」
外にいると、
すぐに楽屋での和やかな笑い声が
聞こえてくるのだった。
……………………………
この鮎川さんの思いがけない
アプローチがきっかけとなり、
冨士夫は後にロケッツに参加することになる。
ロケッツ自身も所属する事務所から
独立するタイミングだったのだ。
新たなロケットを打ち上げるためにも
何か起爆剤が欲しかったに違いない。
その点、山口冨士夫は
相当な爆発力を持っていた。
しかし、それと同じくらい
自爆する可能性もあった…。
それがネックで誰も手を出せないでいたのである。
現にロケッツに乗って
ぐるぐるとツアーを回っている間中、
冨士夫の喜怒哀楽は
繰り返す信号のようだった。
″進め″注意″止まれ″の標識が
目まぐるしく変わる心模様だったのである。
″何をそんなにこだわっているのだろう?″
それは、本人でなければわからない。
いや、本人がわかっていても
どうしようもないのかも知れなかった。
シーナ&ロケッツはどこまでも
鮎川さんとシーナさんの世界だ。
そもそも、そこに何かを問うこと自体が
ナンセンスなのであった。
「今日こそ鮎川に言ってやりテェんだ!」
熊本の人吉にあるホテルだっただろうか、
普段は″まことちゃん″呼びをする
鮎川さんに対して、
いきなり冨士夫の不満が沸点に達した。
「鮎川を呼んで来てくれ!」
″そうじゃなきゃこれ以上LIVEはやらない、
ココで終わりにして帰る″
と冨士夫は息巻いた。
「ドコに呼び出すんだよ」
僕は訊いた。
「そうだな…」
冨士夫はしばし考えて、
「ここには大浴場があるんだって?」
と意外な方向から問いかけてきた。
「そうらしいね」
僕は答えた。
「そこに呼び出そう。裸の男と男の付き合いだ。本音で話すには大浴場がいちばんだと思う!」
と、冨士夫は言い切るのであった。
仕方なくというか、
どうしようもなくというか、
他に選択肢もないので
スタッフの安井(現/藻の月のベース)に頼んで、
鮎川さんを大浴場に呼び出してもらった。
皆さんもご存知だと思うが、
鮎川さんは(良い意味で)天然である。
「なかなか良い風呂じゃけん」
と言ったかどうか覚えてないが、
呼び出しに応じた鮎川さんが
嬉々として大浴場にやって来た。
先に入って湯船のふちにいた冨士夫は、
足先を湯につけながらすでに固まっている。
「どうしたっちゃ?冨士夫」
なんかおかしいと思ったのだろう。
変に深妙になっている冨士夫の
横顔をお茶目に除き込む鮎川さん。
「まこっちゃん!」
そのときである、
意を決して冨士夫が鮎川さんに向き直った。
″おっ!いよいよ言うんだな!″
僕の中で、
取り返しのつかない気持ちと、
大事な物を壊す快感が交差した。
そのときだ!
「アッチの淵まで泳いで競争しねぇか?」
10メートルはあろうかという
湯船の向こう側を指さす冨士夫がいた。
「よか!」
と鮎川さんが返したかどうか覚えてないが、
なんの疑問も迷いもなく
受けてたつ鮎川さんがいたのである。
「トシ!スタートを頼む!」
冨士夫が真剣にコチラを向いた。
″はーい、いくよ!″
(なにしてるんだろ?オレ)
とか、思いながら、
″よーい、どん!″
同時にクラッピングハンド!
波しぶきならぬ湯しぶきをあげて、
大浴場の湯船を泳ぐ
2人の男のロック尻が浮かんで見えた。
″なんのこっちゃ?!″
あーあ……っと、
溜息をついているところに
冨士夫のデカい声がかぶさった。
「トシ!どっちが早かった?!」
真剣な顔でコチラを見ている2人の影が、
湯気でゆらゆら揺れて見えるのだった。
……………………………
「あれでよかったの?」
何も言わないで
大浴場競泳をした冨士夫に問いかけた。
「もちろんだよ、スッキリしたぜ!」
と言いながらも、
ロケッツに対する不満は
ゲスト参加する最後まで続いたのだが、
それは冨士夫の本性なのだろう。
何に対しても完璧俺様主義なのだから。
……………………………
あるとき、冨士夫が、
プライベーツのノブちゃん(延原達司)に、
冨士夫自身の存在感を問うたことがあるらしい。
(そんなコトをいきなり確かめたがる人なのだ)
「ノブったら俺のことを″鮎川さんと同じくらい凄い人だ″って言うんだぜ!」
って、呆れ返ったような顔をしたのを覚えている。
そのときは僕も冨士夫の言い草に頷いた。
冨士夫と鮎川さんは表と裏で、
そもそもの人間性のチューニングが
違うような気がしたのだ。
冨士夫はチューニングが狂っていても、
お構い無しで突っ走る傾向があるが、
鮎川さんは常に一定している。
ギターの音圧もアンプの鳴りも
いつも安定しているのである。
それが音に現れ、
生き方にも現れている、
……そんな気がした。
だが、今では、
そんなことはどうでもいいと思う。
同じように音楽好きで、
同じくらいロックを言葉にして、
2人とも、一生、
少年のような夢を持っていたのだから。
……………………………
2時間以上も並んだだろうか、
駅から続いた参列の旅も
環七沿いの式場で
やっと終着を迎える事ができる。
冬景色の住宅街から
きらびやかな斎場に入ると、
まるでLIVE会場に来た気分である。
さすがにロック葬、
斎場には鮎川さんゆかりの品々で溢れていた。
レコードがCDになっていく時代に、
「今でも電蓄(電気蓄音器)で、7インチシングルを聴いてるっちゃ!」
と、嬉しそうに話していた鮎川さんを思い出す。
鮎川さんの3人の愛娘に会釈をしてから、
個人の冥福を祈った。
さて、″お別れに何を言おうか″
とたんに頭の奥で
『You may dream』が流れた。
それを弾く、
なんとも似合わない冨士夫が現れ、
その横で心配顔のシーナが笑顔で腰を振り、
サイドに構えた鮎川誠が
レスポールを掻き鳴らしながら
大きく頷いていた。
″Keep on Rockin’ ! SEENA & THE ROKKETS ! ″
瞬間、鮎川さんのMCと共に
ロックを乗せた爆音ロケットが、
天まで昇って行くのを感じた。
(2023/02/07)
パンドラの箱を開けてくれた鮎川誠さんに深く感謝します。
ご冥福をお祈りいたします
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