第2怪『ルージュ』The Ding-A-Lings

第2怪『ルージュ』The Ding-A-Lings

21歳のときだったと思う。
仲間たちと多摩美の学祭に行った。

八王子から横浜線に乗り
橋本駅で降りると、
多摩美に通う女子が出迎えに来ていた。

そのとき僕らは何人で行ったのだろう?
グループで行ったので、5、6人はいたと思う。 
僕はその中の1人と付き合っていた。

多摩美女子の住むアパートで
雑魚寝してから学祭に向かうのだが、
キャンパスは山の中にあるのだ。

「美術を学ぶには最高の環境だな」

誰かが偉そーに言った。
どこまで本心かは不明である。

長い坂を上がり学内に入ると 
様々な模擬店が並んでいた。
最初から予定していたのであろう。
その中の呑み屋のひとつに
みんなして入ったのを覚えている。

当時の僕は完全なるゲコだった。
コップ半分のビールで頭痛が始まり、
何時間ものあいだ、
不快感との闘いを強いられる。

「ちょいと出てくるわ」

すでに騒ぎはじめている
彼女と友だちたちを残し模擬店を出た。

「じゃあ、わたしも一緒に行く」

とは絶対に言わない彼女だった。

″ふん、みんなして酔いどれていればいいわ″

なんて多少ふてるのも 
いつものことだった気がする。
それでも、模擬店を出て
3回くらいは振り返っただろうか、
いま思い出しても
オイラは実に情け無い男であった。

さて、お察しの通り、
見知らぬ学校の学祭を一人で彷徨っても
面白いはずがない。
どの模擬店も華やいでいたが、
そのどこにも入る気分ではなかった。

ふと見ると体育館があったので、
そこで暇を潰そうと思った。

入口を入ろうとすると学生が、

「チケットは?」

とか言いながら″ぬぬっ″っと、迫ってきた。

「さっき、渡したじゃん!」 

なんて、とっさに嘘が出た。

″そうか、チケットが必要なのか″

しまったと思いつつも、
ツカツカと中まで進み行くと
どうやらその学生は
それ以上追って来ることはなかった。
(実にわるいことをした)

″ビィーン!″という、
ハウリング音がいきなり耳をつんざき、
その方向に目をやると、
奥に見えるステージで見知らぬバンドが
演奏を始めようとしているところだった。

派手目の不思議なヴォーカルが何やら叫んでいる。

惹き込まれるようにステージ前まで進み、
瞬間的に想像力を膨らませた。

いざ、演奏が始まると
想い描いていたよりも
ご機嫌なステージであった。

特に赤いワンピースを着た男が、
見た目とは別次元のギターを弾きまくっていた。

どこまでふざけているのか、
ピンクレディの『UFO』を
ブラックサバスのように演奏し、
途中でいきなりやめたりする。

僕はすっかりステージに
釘付けになってしまった。
思わず、
横に居た見知らぬ奴に聞いてみた。

「何てバンドなの?」

「ルージュだよ」

クサクサした気分が一気に晴れる気がした。

ウジウジとした男のこの世の憂さを、
いっぺんに吹き飛ばしてくれたように感じたのだ。

…………………………………

後日、その話を『ルージュ』の核だった、
『The Ding-A-Lings』のオス(尾塩雅一)にしたら、

「ぜんぜん覚えてない。当時はめちゃくちゃだったから」

みたいな返しだった。

もう何年も前になるだろうか、
サミー前田氏からメールをもらい、
アースダムで行われた
『The Ding-A-Lings』の演奏を観に行って、
すっかりと気に入ってしまった。

その時に発売されたCD
『The Ding-A-Lings』も
素晴らしかったのである。
ほんとうに不良なのだ。 
(良い意味でね、センスがあるのです)

たまらず手を挙げ、
マネジメントの志願をしたのだが、
(コチラの家庭の事情もあり)
何もできずに終えてしまっている。

こうたろうが、 

「じゃあ、トシさん、春過ぎに何か企画してよ」

って、逆に気を使うように背中を押してくれ、
ライブの企画を考えている最中だったのだ。

″まさか″という真夏の訃報であった。
あっという間の別れになってしまった。

残念で仕方がない。

オスはステージとは
真逆なほどに優しい男で、
いつも楽屋で静かにたたずんでいる。
ドラムのキヨシはマイペースに、
いくつものバンドで叩き、
ベースのナガタっちは
常に身近に感じる仲間なのだ。
そこに、天下のクリが参加した。

27日の『UFO CLUB』が楽しみだ。

コロナ禍が邪魔をして、
不安定な世の中ではあるが、
もし、ライブを行うことができたら、
ソーシャルディスタンスで
密かに踊っていただきたい。

言っておくが、
『The Ding-A-Lings』ほどの
不良バンドを僕は知らない。

♪遊ぼーぜ!♪ なのである。

(2021/04/21)