第39怪『チコヒゲ🥸と呑む@2023』

第39怪『チコヒゲ🥸と呑む@2023』

チコヒゲと会うのは1年振りだ。

昨年の春、
藻の月のLIVEを観に来てくれて、
″ロックなんだね″と、
意味不明なコメントを残して
帰って行った振りなのである。

チコヒゲ先輩を呼ぶときに
ほんとうは″さん″を付けなくてはならないのだが、
チコさんじゃへんだし、
ヒゲさんでもおかしい。
チコヒゲさんじゃ他人行儀だし、
中沢さんじゃ違う人みたいだから、
結局は、失礼ながら
呼び捨てにさせてもらうことにしている。

あの時代の先輩方は
みんなフレンドリーだったから、
さん呼びをしていなかった。
コチラと同じ目線まで
螺旋階段を下りて
接してくれていたからかも知れない。

そんなチコヒゲは
’68年に北海道から上京したと言う。
18歳になるまでは名寄(なよろ)という
道北部に位置する盆地で過ごしていたのだ。

「上京するのが目的だったからさ、入った大学には通わなかった。もっとも大学自体がロックアウトで封鎖されていたんだけどね」

もう5年も前になるだろうか、
根掘り葉掘りインタビューさせてもらった時に
そう答えていたのを思い出す。

その時のチコヒゲの話をもとに、
時を半世紀ばかり巻き戻してみようか。

‘68年の日本はまさに激動の時代で、
若い世代が必死に社会を変えようと、
学生運動が盛んに行われていたときだった。

アメリカに目を向けると、
4月にキング牧師、
6月にロバート・ケネディ暗殺。
そしてインドシナ半島では、
ベトナム戦争が激化していったタイミングでもある。

その年の10月に全学連の学生が、
防衛省や国会、
新宿駅などに突入したまさにその時、
チコヒゲは新宿の現場にいたのだという。

「西口は機動隊と学生が押し合いへし合いで、女の子が頭から血を流しながら闘っているんだ。俺は家に帰れないからさ、伊勢丹の前にあった三越の横の路地に避難したんだよ」

そう、その時のチコヒゲは
学生運動の騒ぎに巻き込まれて
新宿の街を彷徨っていたのだった。

………………………………………

その新宿三越の屋上が
遊園地になっていたのをご存知だろうか?

昭和の時代のデパートの屋上には
どこも簡単な遊具が設置されていて、
子供たちは親の買い物に付き合う代償として
誰もが屋上を目指すのであった。

話はちょっと横道に逸れるが、
フールズに関わり始めたころ、
僕はコウ(伊藤耕)と
ここで(新宿三越の屋上)
ミーティングをした覚えがある。

「俺たちのスペースに案内するよ」
と言ったかどうかは覚えてないのだが、
コウに誘われるままエレベーターで上ったのだ。

さすがに平日の屋上遊園地は閑散としていて、
動かないメリーゴーランドが印象的であった。

コウはどこで買ってきたのか
菓子パンをむしゃむしゃとほおばりながら何かを言った。

「✖️✖️✖️からよ!」

おいおい、喰うのかしゃべるのか
ハッキリして欲しいとそう思った時、
目の前にマーチンが現れた。

「マーチンが来るからよ!」

“そう言いたかったんだな”と合点したのである。

思えばコウとのやり取りは
いつもそんな風であった。
いわば連想ゲームみたいなもので、
彼は金のかからない青空の下で、
あるいは“空を見上げて”
フールズの話をしたかったのだろう。

実際の話の内容は覚えてないのだが、
その屋上に吹く風が心地よく、
現実に縛られた日々がほどける気がした。

“これだな!”って、
僕なりにフールズをイメージしたのを覚えている。

………………………………………

あれからどのくらいの時間が流れたのだろう。

いつもの中野駅北口で待ち合わせてチコヒゲと会う。

改札口を出るなり、
35年以上も変わらぬ彼の笑顔が目に映った。
同時に待ち合わせたコイワイくんが
犬のように寄って来るのも見える。

変わらぬ商店街と
変わらぬ人々の間をぬって僕らは歩く。
すれ違う人たちはきっと見知らぬ輩なのだが、
なんだか遠いところでつながっているのかも!?
って思わせてくれるような街なのだ。

いつもの通路を通り、
いつもの店にはいり、
いつもの酒とつまみを注文する僕らは
世の中がどうなろうと
何も変わらずに泳いでいる魚のように思えた。

チコヒゲは何十年も変わらぬ酒の肴に
だし巻き卵を注文して、
そこにお好みセットの焼き鳥が加わって、
水を得た魚のように乾杯をする。

それが、もう七、八年も前からやっている
僕らの酒会なのだ。

「ドラムは?!叩いている?」

無粋な質問だが、
遠慮なくチコヒゲに聞いてみた。

「バンドじゃないけど、個人でね」

少しはにかむような笑顔で
頷きながらチコヒゲは答えた。

5年前はこの会話の流れから、
『山口冨士夫とよもヤバスペシャルナイト』
のイベントにつながったのを思い出す。

ちょうどコイワイくんの『Goodlovinレーベル』から、
冨士夫とチコヒゲに鮎川さんが加わった
セッションCDが発売されるタイミングだったから、
そこに冨士夫のフィルムも上映して、
イベントとして開催したのである。

その時のハウスバンドは
仲の良いプライベーツに頼んだ。
ゲストも花田さんにお願いして、
照明やスタッフも昔からの仲間が集まり、
まるで同窓会のような一夜になったのだった。

そんな想いのある夜を思い出しながら、

「大丈夫、今回は何も企んでないから」

と、あえてチコヒゲに伝えてみた。

チコヒゲは
“そんなことは思ってもいないよ”
とでも言うように
顔の前で手をひらひらとさせる。

思えば、
あれからイベントもやっていないし、
チコヒゲもステージに立っていない。

少しはけしかけてもいいタイミングなのだが、
リラックスして毎日を過ごしている彼に対して
無闇に緊張感を与えるわけにはいかない。

身勝手な妄想や構想はやめておこう。

横で無邪気にはしゃぎ酒を呑む
コイワイくんの深い闇のような
目を覗き込みながら、
軽はずみな心を改めるのであった。

気がつくと夕暮れから呑み始めた酒が、
脳の中に溜まりよどむように波立った。

“ここからは何を言いだすか自分でもわからんニァ〜”

と思い始めた頃合いを見計らって、
トイ面に陣取るチコヒゲ先輩が
両手の人差し指で“バツマーク”を作る。

さすが、バンマスである。
我らが人生の守護神、名プロデューサー。
お開きにすることにしよう。

「そう言えば、あのバンドとは今も関わっているの?」

帰り際にチコヒゲ先輩が聞いてきた。

「藻の月?もちろん!レコーディングするんだよ。プロデュースしてよ」

と、酔った勢いでピンボールを投げたら、
“ギョッ!”ッとした顔をして
一瞬固まったのが可笑しかった。

オモテに出て時間を見るとまだ7時半である。

昔ならスタートラインにも
立っていないタイミングなのだが、
オジサンはすでに暗い海で揺れ泳ぐ
深海魚のような気分だった。

阿佐ヶ谷から帰りのバスに乗ったのだが、
気がついたらまた阿佐ヶ谷であった。
いつの間にか寝てしまったのだ。
一周回って戻って来たのである。

“まいったなぁ…”

バスを降りて歩き始めた。

冷気が静かに広まっていく中杉通りを
もう一度進んだ。

(2023/02/24)