第23怪『ゴールデンウィークにゴールデン街で呑む』

第23怪『ゴールデンウィークにゴールデン街で呑む』

青ちゃんが逝ってから、
早いもので8年が経つという。
冨士夫ときたら、
来年が10周忌なんだとか。

月日が経つのが早すぎて唖然とする。

青ちゃんの愛妻・ミホが
ゴールデン街で一日BARをやると言うので、
出向くことにした。

夜の歌舞伎町の風景は、
春風に舞う蝶の群れの如きである。
若者が浮かれ翔んで、
そこらを回っているように感じた。

コマ劇場を過ぎると
かつては右手に
Jazz喫茶『木馬』があった。
何もすることがないと
僕はよくここで暇をつぶしていた。
別にJazz通と言うわけではない。
中学から高校に入る頃、
背伸びをするのに
丁度いいスペースだったのである。

そこからまた道を一筋移すところに、
蔦のからまる純喫茶『スカラ座』があった。
中学生のころ、
ここで初めて煙草を吸ったのだ。

別にどうでも良かったのだが、

「なんだよ、いい不良が煙草も吸ってねぇのかよ」

と、夏季講習で仲良くなった
足立区のリーゼント野郎に試され、
“こりゃいかん!”
とハイライトを一気に吸って、
思い切りむせたのだった。
とたんに仲間内で大笑いになり、
おかげで親友になった。

夏休み中、ゼミにも行かず、
歌舞伎町で遊んでばかりいた僕らにとっては
“楽しいこと”しかない風景だった気がする。
  
「一生を左右する大切な時期だぞ」

教師だった親父は心配顔だったが、
何故か本人は楽天的だったのである。

『スカラ座』のトイ面には
ジャズ喫茶『サンダーバード』があった。

入り口には頑強な黒服もどきが立っている。
年齢制限があるので、
中学の不良仲間とつるんで入るのは
不可能だと思った。
僕はそのときすでに身長が175㎝あったので、
それこそ背伸びをして
黒のジャケットを買ってもらい、
M G5(資生堂の整髪料)で髪をセットして、
単独行動で、ドキドキしながら
薄暗い地下へと入り込んだのだ。

怪しい光とじめっとした空気感の中で、
僕はすぐに1人で来たことを後悔した。
初めての世界に心細くなったのである。

とたんにシンナーの匂いが鼻につき、
壁でゆらゆらと揺れているクラゲたちを発見。

その中の1人が、
「踊らないのぉ?」って寄ってきた。

それは、それまでの人生で、
初めて接する種類のお姉さんだった。

突然のことで、
固まって動けないでいると、
「ハイ!」って、
ハイミナール(洒落ではない)をくれた。

「これで楽しもう」ってわけなのだ。

ステージでは『ジャガーズ』が、
スリードッグナイトの
「ママ・トールド・ミー」を演奏していた。

エンディングにストロボを使った演出で
ワンステージを終えたヴォーカルの岡本信が、
ステージの前まで乗り出して来て、

「どこから来たの?こっちにおいでよ」

って、
まだヒラヒラと横で舞っていた
“ハイな姉さん”に声をかけ、
あっという間にかっさらって
行ってしまったのだ。

“このドキドキ感をどうしてくれるんだぃ!”

突然の終了に半ば安堵しながらも、
ふて腐れながら店を出たのを覚えている。

このことがきっかけで、
ステージ通いが始まった。

歌舞伎町の中央通りに行くと
ゴーゴークラブ『トレビ』があった。

ここは『サンダーバード』よりも明るく、
大学生の姉さんたちが
楽しく踊っているという話だったので、
さっそく覗いてみたら、
ヒッピー風のバンドが
『ブラックサバス』の曲を演奏していた。

店は吹き抜けになっていて、
2階にあるテーブル席から
フロアを眺めていたのを覚えている。

そうしているとなんだか落ち着いた。
なんとなく自分の居場所を
見つけたような気分だったのかも知れない。

その『トレビ』のあった場所から区役所通りに出る。

道を渡り、
呼び込みを交わしながら
ゴールデン街へと入って行くのだ。

この2年半、コロナで閑散としていたこの地域も
すっかり客が戻ったように見える。
以前と違うのは外国人観光客がいないこと。
それはそれで、
ボクらの聖地が戻った気分でもあるのだ。
…………………………………

青木ミホの1日BARは
ゴールデン街のほぼ中央にあった。
貸切なので看板はついていない。

ノックして中に入ると、

「お前は誰だ!?」

と、いきなりスピードのケンゴさんにいじられた。

「青ちゃんや冨士夫のマネージャーよ!トシじゃない」

ミホが毎度、同じ説明をする。
(最近はいつも、このシーンから始まるのだ)

「何ぃ!冨士夫だとぉ!?青木がどうしたって?」

“ああ、もう少し早く来れば良かった”
と思った。

ここ数年は、酩酊しているケンゴさんにしかお会いしていない。
それこそシラフの姿を見たことがないのである。

それでも去年よりも元気そうだ。
何よりだと思った。

ケンゴさんが早々に引き上げるころ、
(時間はまだ浅いが酔いは深そうだ)
僕にとってはこの夜の唯一の知人、
(と言っても最近知り合ったのだが)
『ラフィンノーズ』のドラマーだった
丸ちゃんがやって来た。

『TEARDROPS』のことを知る
貴重なる生き証人の1人である。

かつての東芝E M Iで、
同じセクションだったため、
『プライベーツ』同様、
『ラフィンノーズ』とも交流があったのだ。

「山中湖のサウンドビレッジの合宿のとき、スタジオのスタッフが、″すごいヤバいバンドが来ているんですよ″って言うから、誰かと思ったら『TEARDROPS』でした」

と丸ちゃんが言う。

そうそう、
あの頃は東芝E M Iも3年目で、
冨士夫はまたヤバい方向に動き始めていた。

まるで大きな針の振り子のように
ヤバい度合いがどんどん増していき、
いつ沸点を超えてぐるっと回ってしまうのか、
気が気じゃなかった気がする。

そんな時に、
『ラフィンノーズ』とご一緒したのだった。

冨士夫はチャーミー(ラフィンノーズVo.)
の部屋にも遊びに行って、

「チャーミーは、俺より良い暮らしをしているヨーダ。どーゆーことだよ、トシ!」

と責められて困った覚えがある。

「どんな暮らし振りなの?」
と聞いたら、

「家賃が俺より高けぇんだ!」と言う。

「部屋の中はどんな感じ?」

「ソファがあってよ、まぁ、とにかくさ、家賃が高けぇんだよ!」

と、そこなのだ。

冨士夫は決して贅沢者ではないから、
家のつくりとかには執着しないのだが、
人なみの経済問題(他人の台所事情)にはうるさい。

『TEARDROPS』もメジャー3年目、

「知名度通りの収入が無いのはどうしてだ?」
と言うわけなのである。

その後、間もなくして冨士夫は、
逗子に一軒家を見つけて引っ越して行き、
(その家賃がいくらだったかは知らない)
『アトモスフィア』の制作に入って行ったのである。

…………………………………

ふっと時計を見るといい時間だった。

「青ちゃんはジョージ(ハリスン)が好きだったよねぇ」
とミホがいつになく嬉しそうにしている。

店のモニターにはBEATLESのPVが流れている。

僕の目の前には赤ワインと
ハーパーの水割りと
シャンパンのカップが並び、
それを信号を渡るように順番に呑んでいたら
すっかり酔っ払ってしまった。

さてさて、今夜もお開きとしよう。

ゴールデン街を出て、
夜光虫のような呼び込みをはらいながら、
行きとは逆の方向を西武新宿に向かった。

ディスコ『GET』を過ぎ、
ゴーゴーバー『トレビ』を過ぎ、
ジャズ喫茶『サンダーバード』に行き着く。
そのトイ面にあった
純喫茶『スカラ座』も『王城』も、
今はもう、何もかもが夢の跡である。

記憶よりも意外と狭いその路地で、
世の中の何も知らない
楽しかった時間を綴ってみた。

「踊らないのぉ?」

あのドキドキ感は二度と戻らない。

(2022/05/07)

Ps/
青ちゃんの話があまり出なかったな。ごめんなさい。
いつかまた、機会があれば、
青ちゃんのトリュビュートLIVEをやろうという話になりました。
本日は、お時間があれば、
是非とも、新宿のお隣、新大久保にお越しください。

05/07 新大久保@アースダム
●藻の月+jett
●The Ding-A-Lings
●ねたのよい
open 18:30 / start 19:00
前売 2300円 / 当日 2500円 (D別)