第37怪『ドッペルゲンガー』

第37怪『ドッペルゲンガー』

20年以上も前になるだろうか、
僕は友人と出版社を作った。

友人は編集会社を経営していて、
僕はデザイン事務所をやっていたので、
合体して出版社をやれば
作りたい本を自由に出せると思ったのだ。

ところが、
遥か沖には″出版不況″という
大きな津波が顔を覗かしていた。

そんなことは気にもせず、
僕らは身近にあった船にペンキを塗り、
呑気に船出したのであった。

記念すべき初出版は、
某男性タレントと女性作家の対談本だった。
ある女性編集者の持ち込み企画である。

食事ができる会議室みたいな
スペースが渋谷にあって、
そこで数回対談をした。

最後の対談が終了し、

「お疲れ様でした」

と、挨拶を交わした後、
その女性編集者がコチラに迫って来た。

「お世話になりました」

と言うコチラの言葉をスルーして、

「どうして私を無視したのですか?!」

と言うのである。 

「えっ?!」

なんのこっちゃ、わからない。

「日曜日、サントリーホールに居ましたよね。挨拶したのに、なんで知らんふりするんですか?!」

と、猛烈に憤慨している。

コチラにはまったく身に覚えがない。

話の内容を聞くと、
サントリーホールはステージを
ぐるりと客席が囲んでいて、
他の客席が見えるスペースがあるのだとか。
(行ったことがないのでわからないのだが)

つまり、この編集者席から見える
他の客席に僕が居たらしいのだ。
それも、両隣りに女性をはべらせて。

目が合ったのに僕は無視したのだと言う。

不審に思った彼女は、
その後、出口近くで僕を待って、
出て来た僕に声をかけたら、
(やはり2人の女性をはべらせていたという)
見事に無視されたのだとか。

当たり前である、
その人はオイラじゃないのだから。

女性編集者とはそれっきりになっている。
本は無事に出版されたので問題はないのだが、
この女性編集者にとって、
この僕は大嘘つきのままなのだろう。

……………………………………

時を同じくして僕は歌舞伎町に出向いた。

ロフトの並びにある老舗の台湾料理店
で打ち合わせをしていたのだ。

この老舗が店内のリニューアルを
したいというので、
当時流行っていた空間デザイナーという
肩書きで僕が登場したというわけだ。

同級生が工務店を経営していて、
彼からの依頼だったのだ。

打ち合わせが終わり、
店がある地下からの階段を上がったところで、

「●●●さん!」

と、見知らぬ人に声をかけられた。

人違いだと思い無視していたら、
声をかけて来たその人物は僕の前に回り込み、

「お久しぶりです!いつ来られたんですか?」

とか言う。

″えっ?!だれ?あんた″

……である。

いかにもカタギではない輩を目の前にして、
僕は思わずたじろいだ。

「知り合い?」

工務店の友達も不審がっている。

その状況に気がついたのか、
いかにも反社会的に見える兄さんは、
突然の気配りを始めて、

「お連れさんが一緒でしたか、すんません!また、あの、連絡ください、前と同じですので!」

と、足早にガニ股で去って行った。

「なんて名前で俺を呼んだ?」

僕は工務店の友人に訊いてみた。

「わからなかった」

と、その友人が応えた。

まぁ、いずれにしても身に覚えがない。
明らかに人違いなのだから。

……………………………………

その頃は3日と空けず
歌舞伎町で呑んだくれていた。
パトロールする場所が
たくさんあったのである。

たいがいは区役所通りのど真ん中にある
パリジェンヌで待ち合わせしてから
何処かに繰り出すので、
その日も交差点に向かっていた。

区役所方面からコリンズビルの前に
差し掛かったときである。

「どこ行くの?!〇〇ちゃん、待てるよォ!」

と、突然に助詞足らずの言葉で呼び止められた。
振り返ると大柄の台湾人黒服が立っている。

「あの、誰かと間違えてます…よ」

と言うコチラの言葉にかぶせて、

「またまたまたまたまたぁ!」

と、必要以上に″また″を連呼しながら
笑顔でビルの中にナビゲートしようとする台湾黒服。
新手の客引きかと思い丁寧にお断りをしていると、

「●●さん、最近来ないね、何処で浮気してる?」

と、僕に対して見知らぬ名前を呼び、
親しげな目で訴えてくるのである。

しかし、そいつは僕ではない。
見た目はきっと僕なのだろうが、
明らかに違う人物なのだ、……たぶん。

……………………………………

そんなことが続いたこともあるが、
切りのないパトロールにも飽きたので、
すっかり歌舞伎町にも行かなくなったある日、
久しぶりに冨士夫に会って、
彼の家で談笑していた時のことである。

「そう言えばさ、笑っちゃうくらいトシにそっくりのヤクザが居たんだよ」

って、最後にアッチに行っていた時の
エピソードを話してくれた。

″ほんとうによく似ていたんだ″
……と笑う。

″オイラに似たヤクザ?!そんなのいるはずない″
って、思いながらも、

″それって、もしかすると…?″

と、過去のエピソードを思い出せば
誰だって思うだろう。

4つの点が線になるからだ。

2014012902210000

……………………………………

そう、いわゆる、
他人の空似というやつ。

世界には自分のそっくりさんが
3人はいると言われている。
だが、もしかしたら
もっと多いのかも知れない。

似た顔があるというのは、
顔の特徴を決める遺伝子の数に
限りがあるからだという。

だから、同じ顔がいて当たり前なのだ。
深くえぐれば、そこに人種の隔たりもない。

地球上の他の動物に比べて人間は、
顔の違いで社会的に他人との区別をする。
そんな風に他人の顔を見て、
自分にとっての不利益を判断するのである。

「顔で判断するなんて、人間って、なんてナンセンスな生き物なんだ」

と、近所の猫たちも
談笑しているのかも知れない。

さて、
″ドッペルゲンガー″とは、
自分自身の姿を自分で見る幻覚の一種だ。
自分とそっくりの姿をした分身、
「自己像幻視」とも呼ばれる現象である。

いつか僕は、このもう1人の
(たぶんヤクザ風の)僕に会うのだろう。
今も彼が生きていれば、の話だが。

場所は新宿の歌舞伎町、
いや、青山のサントリーホールで
クラシックを聴きながらがいいのかな。

″そのときはなんて挨拶をしようか?″

そんなコトを月を眺めながら、
ときどき考えているのである。

(2023/01/30)